ADHDの彼と適応障害の彼女(仮)

日ごろの生きづらさについて綴ります。

好きだった人に子どもができた。そして私は26歳になった。

好きだった人に子どもができた。もう3ヶ月だそう。

それを聞いた2日後に私はまた歳をとった。26歳になったのだ。

去年の夏の終わり、私は仕事帰りに彼の家を訪れた。借りていた服を返しに来たのだ。事前に連絡をした時、「捨てちゃっていいよー」と言われたが、嘘ばかりつかれていたことに腹が立ち、とりあえず思っていたことを紙に書き殴り、アポなしで家に行ったのだった。初めて行ったのではない、それまで何回も行っていた家だ。キスもセックスも何回もしたその家だ。

3回ぐらいピンポンを押したが出ない。いないのかと思って窓側に降りてみた。部屋の窓も空いているし、中からテレビの音も聞こえる。何かがおかしい。その瞬間、中からパシャッというような音がした。そして女がカーテンを勢いよく閉めた。私は焦った。何が起きているのか分からなかった。動悸が止まらなかった。急いで玄関の方に走った。すると、さっきの女がでてきた。

「・・・すみません、今彼いなくて・・」

「・・・・・そうですか。荷物を返しに来て。」

「・・・・・・元カノさんですか・・?」

「いえ、元カノではないです・・・彼女さんですか?」

「そうです・・・・・とりあえず家入ります・・?」

この後、私はなぜか家の中に招き入れられ、数分後にはお茶をご馳走になっていた。謎である。ひたすら謎である。なぜ今の彼女と一緒に同じ部屋にいるんだろうか。今この瞬間何が起きているのだろうか。私はなぜここに来たのだろうか。家の中に入ったことを後悔していると、彼女と私の携帯には交互に彼からの着信が入った。

「お願いです、電話に出てください」(彼女宛の彼からのライン)

彼女に「何でも聞いていいよ」と言われた私は、気づいたら全部質問していた。いつから付き合っているのか。初めて会ったのはいつか。彼女は全部答えた。初めて会ったのは11月、付き合ったのはクリスマス前、3月から同棲していると。私は息を吸って吐くので精いっぱいだった。私は最後に彼と会ったのは11月末だ。そもそも4ヶ月無視された後、連絡がとれるようになった時よりも随分前にもう今の彼女と付き合っていたのだ。私はそれを知らずにその後も連絡をとっていたのだ。目の前の彼女からの言葉が頭の中をぐるぐるして、それは変な模様になったり変な記号になったりしていた。

「彼とちゃんと話せてないんです。」

「それは彼と○○ちゃん(私)の問題だからちゃんと話した方がいいよ。」

そういって、彼女は彼に電話をした。彼と私が陰でコソコソしているのも嫌だからと。コソコソしているのはどっちだろうと思った。

「それって私にも○○ちゃんにも失礼じゃない?○○ちゃん、涙目だったよ。」

そんなことを彼に電話越しで伝えていた。そして、8,9ヶ月ぶりに彼の声を聞いたのだった。しかし、彼の最初の一言はこれだった。

「なんでそこにいるの?」

私は、○○さん(彼女)が入れてくれたからだよ、と言ったが、全く答えになっていない返答をした。確かにアポなしで行った私が悪いのは承知だが、本当に相手のことを考えているのであれば、最初の一言目はこの言葉ではないだろう。「こんな風になってごめん。」ぐらいが丁度いいのではないだろうか。その一言で、彼は自分のことしか考えていないことがはっきりした。他人のことを考えているふりをして自分の保身のことしか考えていないということ。自分が楽しければ、自分が気持ちよくセックスできればそれでいいのだ。

「ちょうどその頃仕事が軌道に乗ってきて、そこで私からかけられた言葉に追い詰められると思ったことが3回ぐらいあって、だから・・・。自分の弱さのせいで自分を好いてくれる人を断れなかった・・・・・。ごめん。」

みなさんはこの言葉を聞いてどう思うだろうか。確かに、毎週会っていたときに急に会えなくなり、「いっとき会えそうにない。」と言われたとき、「あんまり期待しない方が良いね。」と言った。久しぶりに会ったとき、彼は家で仕事していて、私は隣の部屋で一日中映画を見ていた。その後一緒に夜ご飯を食べたとき、彼が元カノの話をして(私に会う前に付き合っていた彼女から出て行かれ、彼はずっと引きずっていた)、「僕は家族とか恋人とか第一優先にできないんだよねー。」と言われたとき、「そんな風に言うのに、彼女と別れてすぐ私に声かけてきたんだね。」と確かに言ったこともある。それは後悔しても後悔しきれなかったが、今思うと私は最初から人として見られていないんだなということを感じていたのではないだろかと感じている。だからこそ不安だったんのではないだろうか。でもそんなことを彼に伝えることはできなかった。なぜすでに彼女がいることを言わなかったのか、そんなことも伝えることはできなかった。その時でさえ、「そんなことを彼女の前で言えば彼女が傷つくんじゃないか」と私は思っていた。最後の最後まで何も言わせてもらえなかった。

全ての話が終わった夜中の1時半、終電がなくなった私は駅前のネカフェで朝まで過ごし始発で帰った。